郵政民営化です。
郵政民営化(ゆうせいみんえいか)とは、日本における郵政三事業(郵便・簡易生命保険・郵便貯金)の民営化政策を指す用語である。
日本の小泉内閣(当時)が掲げていた重要施策の一つであり、小泉純一郎総理大臣自身も「行政改革の本丸」であると主張していた。最近では、従来の3事業に包含されていた窓口業務(郵便局窓口での接客サービス)を別の区分ととらえた「郵政4事業」を対象として言うことも多い。小泉は1979年の大蔵政務次官就任当時より郵政事業の民営化を訴え、宮沢内閣時の郵政大臣在任時や、第2次橋本内閣の厚生大臣在任時にも訴え続けていた。
しかし、この民営化に対しては米国からの強い要求もあり、2004年10月14日に公表された「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」(略称:年次改革要望書)でも日本郵政公社の民営化が明記されている。郵政民営化について政府の郵政民営化準備室と米国政府・関係者との協議が2004年4月以降、18回行われ、5回は米国の保険業界関係者との間であったことを、2005年8月5日開催の郵政民営化に関する特別委員会で大門実紀史参議院議員の質問に竹中平蔵郵政民営化担当相が答えて明らかにしている。さらに、2005年3月に発表されたアメリカ通商代表部 (USTR) の「通商交渉・政策年次報告書」には、2004年9月に閣議決定した「内閣の設計図」(小泉内閣の基本方針)に「米国が勧告していた修正点が含まれている」と述べ、米国の圧力で郵政民営化法案の骨格が書き換わったことを、米国政府自身が公式文書に記載している。
民営化は行政サービスの低下につながるとして、野党はもとより自由民主党内の特定郵便局を支持基盤にする郵政事業懇話会からも激しい抵抗があり、郵政民営化関連法案は、第162回通常国会では衆議院で可決したものの2005年8月8日に参議院にて否決された。しかし、この結果を受けて小泉が民営化の賛否を国民に問うとして、衆議院を解散する事態に発展(郵政解散)、反対派は自民党を離脱し一部は新党を結成。9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、与野党それぞれの獲得票数の差は僅かであったが、議席数において与党の郵政民営化賛成派が圧勝。後の特別国会で10月14日に同内容の関連法案が可決・成立された。郵政民営化の審議開始後に次手として道路関係四公団民営化の審議が開始されたが、郵政民営化の審議長期化などにより2005年10月1日に道路関係四公団民営化が先に実現している。
2007年7月29日に行われた第21回参議院議員通常選挙で第一党となった民主党は、同年8月9日に国民新党・社会民主党と共同で、民営化の実施を凍結する「郵政民営化凍結法案」を第167回国会に提出した[1]。この法案は、郵政民営化の実施期日である「10月1日」を「別に定める」に改正し、郵政民営化自体を1年間凍結させるものであったが、審議されないまま廃案となった。民主党は当初、国民新党に配慮して、この法案を第168回国会へ再提出する意思を示していたが[2]、民営化の実施期日に間に合わないとして一旦は再提出を見送った[3]。その後、国民新党から共同提出を求める声があり、再度協議したものの結局は断念した[4]。
その後、国民新党は党内で検討を進め、社民党、民主党と共同で「郵政民営化見直し法案(株式処分凍結法案)」を第168回国会へ提出した[5]。内容としては、政府が保有している日本郵政の株式と、日本郵政が保有しているゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の両株式の、市場への売却を当面3年間凍結させることにより、郵政三事業の一体経営を継続させるものである。
提出当初は、法案が委員会になかなか付託されなかったため、審議が始まらず、国民新党は民主党に対して法案の早急な委員会付託を求めた[6]。その後、12月4日に参議院総務委員会で提案理由説明が行われ、ようやく審議入りすることとなった。12月11日には参院総務委員会で[7]、翌12日には参院本会議で[8]、それぞれ野党の賛成多数で法案が可決された。法案は衆議院に送付されるものの、与党側は「現在の法律や制度でも、株式を売却する前に、日本郵政グループの完全民営化に関する見直しを行うことはできる」として、法案には反対の意思を示しており、与党が今も多数派を占める衆議院では否決、もしくは審議未了のまま廃案となる見通しである。
(以上、ウィキペディアより引用)
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